面倒な世の中を生きる

ボヤキとか、前向き発言とかをダラダラと

会社にルール・規則が増えることを嫌う人達が勘違いしていること

以前、様々な会社からいろんな人が集まって理事として活動していたとある業界団体の立て直しをした時のお話。

 

 その団体は業界内ではそれなりに有名になりつつあったが、法人として見たときいつ倒産してもおかしくない状態だった。

 

なぜそんな状態だったかと言えば、各理事の人たちがそれぞれ自分のやりたいことをやるばかりで全く統制が効いていない状態だったからだ。

 

経費を使うにしても、それは必要経費だから仕方ないんだと言って使いたい放題。誰も全体の会計の事など気にしていない。

 

事務を担当していた人たちもまともな人はいなかった。以前の会社でこうしていたからこれでいいんだ・・・そんな話ばかり。

 

私はそこで3つのことをした。

1.団体としてのビジョンを実現するための事業計画をきちんと立てること。

2.各理事は担当する事業の計画と予算をつくり、その達成に責任を持つこと。

3.理事から事務担当者まで自分でできる権限の範囲を明確にして、範囲を超えるときはきちんと承認手順を踏むこと。

 

この3つを形にしていった。

 

・・・

結果として大きな反発が起こった。

 

やりたいことができなくなると思った理事からは嫌われた。

 

しかし、やれなければ法人としてつぶれてそもそもできなくなるだけですよと丁寧に話をしたら、しぶしぶ納得した。

 

その結果1~2は何とかなった。

 

しかし、3はなかなかうまくいかなかった。

 

自分のやり方でやれないもどかしさ、人から承認されないとできないといういら立ちが相当ストレスだったようだ。

 

このとき、気づいたことがある。

 

ルール・規則ができるということを彼らは「自分を縛り付けるものだ」と考えているということだ。

 

そして、社会においてそう考える人が非常に多い、むしろ一般的だということも。

 

しかし、私はこう考えている。

 

「ルールや規則」というものは

1.私たちを守ってくれるもの

2.自分たちの行動・関わり方をスムーズにするもの

3.共通の意識・価値観のようなものをつくりだすもの

 

このようなものだと思う。

 

ルールや規則があるから、その範囲内で自由に動いてもそれはたいてい許される。

 

後だしじゃんけんで理不尽に注意されることはない。

 

注意されたら「ルールに沿ってやってますよ」といえばいいのだ。

 

そう、ルールや規則を順守している限りにおいて責任は個人に発生しない。

 

不具合が出た時、それは経営者などルールを決めた・承認した人たちにある。

 

何度も言うようだが、「ルールや規則は縛るものではなく守ってくれるもの、自由を保障してくれるもの」なのだ。

 

こういうことを教えない社会人が多くなってきている。

 

結果として形にばかり目がいき、本質がわからない人が増える。

 

面倒な世の中になってきたものだ・・・。